-慶應スポーツ新聞会が慶大スポーツ情報をお届けします-
〜2009年にかける〜 第7回 ソッカー部男子 山浦公裕選手
有力新人二人目は山浦公裕選手(商1)。FC東京U-18出身でU-17日本代表としてアジアユースに出場。FC東京U-18時には2度の全国優勝経験を持つなど実力には申し分ない。ボランチ、サイドバック、サイドバックなど複数のポジションをこなすユーティリティプレイヤーでもあり、慶大では1年目から出場が期待されている。そんな山浦選手には幼少時代から、今までのサッカー人生について語ってもらった。

―いつサッカーを始めたのですか
いつから、というと、具体的にはわからないんですけど、兄貴の影響でサッカーを始めて、小学校1年生のときにクラブに入ってサッカーをやりはじめました。
―山浦選手は小学生時にダノンカップ(10−12歳の少年・少女を対象とする主要な国際サッカー大会)代表に選ばれるなど、エリートコースを歩んできたイメージもあります
ダノンのときは本当は最初から選ばれていなくて、1人怪我人が出て、その追加召集という形で呼んでもらったんです。そのとき、トレセンっていう制度があって、東京トレセンとか関東トレセンとかあったんですけど、それも(自分は)東京トレセンまでだったので。エリートと言えるかどうかもわからないんですけど、でもダノンカップに行けたことはすごい良かった。セレクションとかが有ったわけじゃなくて、協会の方の推薦という形で行けたので、奇跡というか。
―ダノンに行けたことで、何か得たものはありましたか
日本の小学生のトップの辺りにいる人たちとできたっていうのはすごい自分にもいい経験になったけど、ある意味自分でもちょっと調子にのっちゃった部分もあったと思うし、でも自信もついて、という感じで。あと純粋に、すごく楽しかった。
―その後、中学校はFCトリプレッタ、高校ではFC東京とキャリアを積んできたわけですが
小学校のときに、FC東京だったり、マリノスだったり、とにかく家から通えるジュニアユースは受けたんですけれど、ほとんど全部落ちてしまって。それで、小学校のチームの人の紹介でトリプレッタというチームに入って、それで高校のときはスカウトの方に声をかけてもらって、FC東京に入らせてもらって。
―ちなみに山浦選手は内部進学とのことなのですが、大学以前に慶大でやろうか迷ったことはありますか
やっぱり、プロを目指していたので。できる限り高いレベルのところでやりたくて。
―では慶大のサッカーについて何か印象などありますか
FC東京(U−18)のときに練習試合をやったときは、前からのプレッシャーもかけられるし、すごく自分たちから主導権を握れるサッカーをしていたという印象でした。
―山浦選手の得意なプレーは何ですか
キック全般が得意なので、それはセットプレーであったり、シュートだったり。まあ、蹴ることです。
―山浦選手はボランチ、サイドバック、サイドハーフなど複数のポジションをこなせるという印象もありますが
好きなの、やりたいのはボランチです。

―それはなぜですか
中学時代ボランチでやっていて、高校では、代表でサイドバックやってからチームでもサイドバックをやっていたんですけれど。やっぱりサイドだと対人のプレー、1対1のプレーが多いので、自分はそれよりはボランチの位置からゲームを組み立てたい。その方がキックも活かせると思うので。
―ボランチで好きな選手は
アーセナルのセスク選手と、ACミランのピルロ選手が好きです。
―ボランチが一番好きとのことなのですが、逆にサイドバックやサイドハーフをやってみて、何か変わったことはありますか
クロスとかうまくなったし、まあ1対1も強くなったと思います。
―では、アジアユース(U-17日本代表)ではサイドバックとして召集されたわけですが
ほとんど、試合には出てないんですけれど。自分としては、チームとして黒子に徹しきれたと言うか。一個のチームとしてのことを考えて、自分で声出したり、盛り上げたりしていて。だから、出られなかった、けどやりきれたっていう感覚のある大会です。
―韓国戦では交代での出場もありました
緊張しました。結局3−2で勝ったんですけれど、自分は同点の引き分け2−2の局面で出て行ったので。いざ交代ってなってピッチのところに立っているときは、正直足が震えてました。
―U−17代表の城福監督は、その後FC東京のトップチームの監督に就任されました。そういう意味でも、山浦選手とかかわりの深い指導者だと思うのですが
中学のときに代表に入ってから、ずっと城福監督のサッカー観を聞いてきて、自分のサッカー観もがらっと変えられたというか。本当に、城福さんに求められていたプレーっていうのは、自分に染み付いていて。今でも意識してやっています。本当に影響を与えられた監督だと思います。ミーティングとかまで楽しくて、勉強になったというか。
―城福監督といえば、MFの選手をDFにコンバートすることがすごく多いイメージがあります
僕もそうだったんですけれど。城福さんはポゼッションサッカーをすごくやろうとしていたし、だからサイドバックが攻撃の起点になるっていうのが求められていたので。MFやFWの選手もやっぱりサイドバックをやってみるということは多かったです。
―山浦選手は惜しくもワールドユースへの出場はならなかったのですが…
行けなかったのは本当にショックで。1週間くらいふわーっとしてて、ずっと悔しくて。その期間が終わってからは本当にひたすら練習というか。ナイジェリア戦はチームの遠征で観にいったんですけど。全試合もちろんテレビで観ましたし、応援もしましたけど、やっぱり行きたかったていうのが大きくて。
―その後、FC東京では2回の全国優勝を成し遂げました
僕が2年のときの最後の大会でまあ優勝できた訳なんですけれど。そのときは本当にいいメンバーが揃っていたんですけれど、夏のクラブユースとかで結果が出なくて。最後の最後の方になって、チームがまとまってきて。3年生と2年生ひとつでチームとしてまとめられたというのも大きいと思うし、2年生は本当に3年生と1試合でも多くやりたいという気持ちで試合に挑んだので。だからこそああいう結果で終われて本当に良かった。
―ちなみに、その2年生時のサハラカップ(Jユースカップ)優勝メンバーでは田中奏一選手(環2)も一緒にプレーされていますが、また同じチームになっていかがですか
奏一君が入ったっていうのは…僕もサイドバックをやっていたときは、一緒にポジション争いとかもしたりしていたので。また奏一君とやるのかって部分もあるんですけど(笑)まあでも、最後の大会では僕がサイドハーフで、奏一君がサイドバックだったので。また、一緒にサッカーできるのは楽しみにしてます。やっぱり2年間一緒にやってきたメンバーなので。
―3年時、自分たちの代では夏のアディダスカップ(クラブユース選手権)優勝を掴み取りました
自分たちの学年は、本当にいいチーム。最高のチームだったって言えます。プリンスリーグの最初の方でマリノスとレッズに負けちゃって、正直自分たちにもプレッシャーがあった…というか不安だらけだったんですけれど。ベルディに東京ダービーで勝ってから、本当に自分たちのサッカーができるようになって。チームとしてもやることが決まってきたと思うし。あと明るい学年だったんで、その勢いみたいなものがクラブユースで出せたというか。チームワークがいいチームだったので、優勝は本当に嬉しかった。
―夏の優勝にも関わらず、トップ昇格は0という結果でしたが、全員進学希望だったのでしょうか
いや、みんなプロ目指してやってて。プリンスリーグの優勝も獲ったし、クラブユース選手権(アディダスカップ)の優勝もあったし、みんな、誰が上がるんだっていう感じだったんですけれど。7人くらい候補には挙がっていたんですけれど、結局誰も上がれなかったいうのがあって。そういう話をクラブユースの前に聞いていたので、まあ見返してやりたいというか、そういうのでまとまれたと思うし。正直他のチームの昇格メンバーとか見ると、うちのメンバーはみんな上がれるくらいのレベルだと思うし、悔しかったです。
―夏以降を振り返って
その後の高円宮杯とサハラカップを取れなかったのはやっぱり…。もちろんチームとしては高円宮杯に出ること自体、7年ぶりとかで、意味のあることだったんですけれど。サハラカップを獲れなかったってことはやっぱり本当に悔しかったし、あそこで優勝できたら歴史に名を残せたというかんじだったので。去年の先輩(※2007年度はFC東京U-18がサハラカップ優勝)ってすごいなと思いました。
―山浦選手は慶應出身ということですが、早慶戦への思いいれはありますか
野球のイメージが強いんですけれど、やっぱり慶應生として早稲田に負けることは絶対駄目というか、勝ちたい試合なので。去年兄貴の早慶戦に懸ける思いというのも見て来たので。最近勝ってないらしいので、自分が出て勝てれば最高だと思います。
―それでは最後に今季の目標をお願いします
チームとしては1部でやれるということで、チャレンジャーの気持ちで。けど本当に優勝目指してやっていきたいし。自分としても試合に出られるように頑張りたいです
(取材・編集 竹尾友里)


